ioを通じた「パーマカルチャー研究所」との出会い
misskey.ioのタイムラインで札幌市南区「簾舞
が話題になっていた。
ミスキー廃人を意味する「ミス廃」のミームと響きが似ているということから話題になっていた。鯖缶の村上さんも札幌の人間なのでコメントを寄せていた。
私自身も定山渓にサイクリングに行くときに、言葉のひびきの良さと、簾が舞うという字面、八剱、硬石山のそびえ立つ風景に印象付けられていた場所だった。
簾舞の地図を眺めていると地図上に気になる場所を見つけた。国道からかなり登っていった道の最果て「パーマカルチャー研究所」というピンが立っていた。
私は興味本位でそれをタップした。
パーマカルチャーというのは、自給自足の生活をしようという文化である。当研究所は三栗祐己さんとその家族で運営されている上記の生活を実践的に研究して普及させていこうという組織だった。最近法人化したのだという。
大学院卒で東北電力まで務めた人がなぜ、という疑問の一方、北海道で家まで自分で建てて自給自足してるのか、と一気に私は引き込まれた。
10年ほど前、将来の夢など何もない状態だったとき、ニコニコ生放送で出会った青年は、千葉で自給自足の生活を作ろうとしていた。
郊外の市街化調整区域に人一人が住むのに十分な小屋を建てて、最低限のインフラを引き、低収入ながらも自由な生活を作ろうとしていた。
そのことを久々に思い出した。
当時もすごい生き方だ、憧れると思っていたが私にはできないだろうと感じ、紆余曲折を経て現職に進むことになったのだった。
ブログを読み進めていくと更に興味深いことがわかっていった。山奥で農業畜産を行うことだけがパーマカルチャーではなく、普段の生活の中にパーマカルチャー的な様式や思想を取り入れることが第一歩ということなのであった。
例えば外食をやめて自分で簡単に料理してみること、普段の生活で不足するものを自作してみることなどである。
そして最終的に、自分自身の興味のあることを仕事にするという段階にまで話は及んだ。
独立を決意しながらも金銭的な困難などがあるだろうと少し恐れていた自分がいたが、ブログを読むことで今こうして書いているブログや、同じように変えようと行動する仲間たちとの交流が良い方向に進むきっかけになると革新できた。
結果としてメールマガジンと無料の講座を受け、更に知りたいと感じたので有料の講座にも申し込んだ。
これだけ書くとよくあるコンサル業のように感じる人もいるかもしれないが、お互いに気持ちよくお金を払えるものだったので満足している。
ioのパトロンのようなものである。
ioの流行から、私はおそらく運命的な出会いをした。
数年後には現職を辞し、独立するだろう。
しかしそれは1年前の消極的にしかたなく、他人のせいで出ていかなかったと感じていた私ではなく、自分自身の夢を、ライフワークを実現しようと努力する姿だと。
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