目標を立てましょう! リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 4月 06, 2023 無事に大宮に移動しましたが、連休以外の外出は絶望的です。しかし、ピンチはチャンス、机に向かってブログやHPを制作する良い機会と捉えています。 さて年度も変わりましたので、今年度の目標を発表していきます。1,自動車をいつでも手放せる状態にすること2,バイクを処分すること3,北海道島しょ部への輪行を経験4,年越宗谷を自走で(12月~1月)5,HPとYoutubeチャンネルの更新頻度向上(6月以降) 明日から各項目について少しづつコメントしていきます。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
ブログ新しくします。 5月 31, 2023 最近、ライフワークを仕事にするための講座を受けており、その中で自分のブログを持つことを勧められています。 ここは違うのかというと、完全ではない…という感じでしょうか。 無料ブログというのは完全に自由な表現が許されるわけではありません。アパートの中で騒ぎ過ぎたら大家から追い出されるような場所なのです。 対して独自ドメインを持つウェブロブサービスというのは、自分自身の土地を持つように、自身のルールと裁量で運営ができます。 今日は5月31日。区切れの良い日和です。 毎日更新ではありませんでしたが、しっかりと記事は続けてこれたかなと思います。 明日札幌に変えればパソコンもあり、ウェブサイト作成も楽にできると思います。新しいサイトができましたらそちらに移行しようと思います。 これまでありがとうございました。 続きを読む
ioを通じた「パーマカルチャー研究所」との出会い 5月 18, 2023 misskey.ioのタイムラインで札幌市南区「簾舞 が話題になっていた。 ミスキー廃人を意味する「ミス廃」のミームと響きが似ているということから話題になっていた。鯖缶の村上さんも札幌の人間なのでコメントを寄せていた。 私自身も定山渓にサイクリングに行くときに、言葉のひびきの良さと、簾が舞うという字面、八剱、硬石山のそびえ立つ風景に印象付けられていた場所だった。 簾舞の地図を眺めていると地図上に気になる場所を見つけた。国道からかなり登っていった道の最果て「 パーマカルチャー研究所 」というピンが立っていた。 私は興味本位でそれをタップした。 パーマカルチャーというのは、自給自足の生活をしようという文化である。当研究所は三栗祐己さんとその家族で運営されている上記の生活を実践的に研究して普及させていこうという組織だった。最近法人化したのだという。 大学院卒で東北電力まで務めた人がなぜ、という疑問の一方、北海道で家まで自分で建てて自給自足してるのか、と一気に私は引き込まれた。 10年ほど前、将来の夢など何もない状態だったとき、ニコニコ生放送で出会った青年は、千葉で自給自足の生活を作ろうとしていた。 郊外の市街化調整区域に人一人が住むのに十分な小屋を建てて、最低限のインフラを引き、低収入ながらも自由な生活を作ろうとしていた。 そのことを久々に思い出した。 当時もすごい生き方だ、憧れると思っていたが私にはできないだろうと感じ、紆余曲折を経て現職に進むことになったのだった。 ブログを読み進めていくと更に興味深いことがわかっていった。山奥で農業畜産を行うことだけがパーマカルチャーではなく、普段の生活の中にパーマカルチャー的な様式や思想を取り入れることが第一歩ということなのであった。 例えば外食をやめて自分で簡単に料理してみること、普段の生活で不足するものを自作してみることなどである。 そして最終的に、自分自身の興味のあることを仕事にするという段階にまで話は及んだ。 独立を決意しながらも金銭的な困難などがあるだろうと少し恐れていた自分がいたが、ブログを読むことで今こうして書いているブログや、同じように変えようと行動する仲間たちとの交流が良い方向に進むきっかけになると革新できた。 結果としてメールマガジンと無料の講座を受け、更に知りたいと感じたので有料... 続きを読む
大人たちの東北震災 5月 24, 2023 とても喜ばしいことに、本日は仕事で2011年3月11日に起こった東日本大震災とそれに伴う福島原発の対応に関して資料を閲覧する機会を得ました。 数年後に作られたNHKのドキュメンタリーと自主制作資料の2つを視聴した感想は「当時の善意ある大人が最善を尽くした結果」だったのだなと感じました。 特に、現場からの報告が、上申され議論され上申され、今度は上層部が議論したことが下達され、という流れが迅速な決定を不可能にしていると感じましたが、これは民主的な意思決定が生きている証拠でもあると感じました。 私自身知らずに過ごしていたのですが、福島第二原発も電源喪失で第一原発と同じ命運をたどりつつあったことを知りました。 それを救ったのは自衛隊の消防車で、原子炉内への注水が成功したことにより安定化に成功していたということでした。 当時、第一原発のメルトダウンが衝撃的すぎて、もう一つの救済された危機はそこまでスポットライトを浴びていなかったと思います。 当時、人類が初めて体験したであろう大地震と大津波が原子力発電所を破壊するという自体に対応したのですから、失敗するのは仕方のないことです。 しかしその中でもそれぞれの立場が迷いながら良い道を選んだので今があるのだと理解できました。 続きを読む
コメント
コメントを投稿